なんで岩国で「篆刻」をするのか、チコちゃん知っていますか?

篆刻体験


篆刻体験をするお母さんから、「実は、子供が学校で印を作ってきて・・」と興味を持ったきっかけのお話をお聞きしました。
なんで岩国で篆刻をするのか・・チコちゃんおしえて

錦帯橋


NHKの番組「チコちゃんに叱られる」は毎週楽しみにしている番組です。何気なくあたりまえのように、意味も分からず、考えもせず、日々を生きている高齢者の私にとっては、「はっと!」させられることばかりで、脳の活性化が起こっているようです。
今回は、「なんで?岩国で篆刻」の疑問についてお話しします。
ご存知、山口県岩国市には名勝といわれる「錦帯橋」が観光名所としてあります。春には桜の美しい錦帯橋、夏には清流錦川にかかる五連のアーチ橋が水面に映り、鵜飼舟や花火大会でにぎわいます。秋のもみじ、冬には雪化粧した姿は水墨画の世界となります。その錦帯橋が五連のアーチ橋となったのは、岩国の城下町を作った吉川のお殿様、三代吉川広嘉と、医師として招聘された独立性易禅師の出会いがあったことに始まります。聡明な広嘉公は独立禅師に見せてもらった「西湖遊覧志」という本に西湖にある白堤や蘇堤の絵を見て、流れない橋錦帯橋を創建するというヒントを得たのです。そのヒントをくれた人、独立禅師は明代末の人で儒学に堪能で、詩を詠み、書画をかき、そして篆刻をするという文化人でした。58歳で長崎に渡来し、隠元禅師の弟子となって江戸に書記として同行した独立禅師は将軍徳川家綱に謁見しています。鎖国の日本に初めて伝わる明の文化の一つ「篆刻」はこの独立禅師によって伝えられました。独立禅師は69歳の年から73歳までの間に4回岩国に医師としてきており、その間に書画などたくさんの文化を岩国に残していきました。広嘉公の印もできたと古文書にありますので、「日本篆刻の祖」独立禅師に親しむために、岩国では「篆刻体験」をしているのです。
独立禅師と錦帯橋、篆刻は切っても切れない岩国の大切な文化の一つなのです。

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