「小林東五の酒器」と「篆刻印材の魅力」2024年1月5日~6月18日

「龍門寺に守られた独立禅師と錦帯橋創建350年を祝す酒器」2023年7月1日~12月19日

錦帯橋創建350年を祝し、錦帯橋ゆかりの独立禅師が龍門寺に残した書などを展示します。この中には今までに公開されていなかった龍門寺伝来の貴重な印と多宝塔も展示しています。どうぞお楽しみくださいませ

~錦帯橋架橋350年展とともに~ 関雪の桃源郷とふたたび備前焼」

1階の酒器展示コーナー ただ今は  古萩・古志野・古瀬戸・李朝堅手盃など 

 

2023年は錦帯橋創建350年の年です。今年1年間は、錦帯橋に関する内容が満載です

2022年7月21日∼12月20日まで 独立性易禅師没後350年記念・いにしえの土器展

「むかしの文房具と粋」~文房四宝と印籠∼ 期間は 6月30日(木)まで展示中。                       

 特別展示「日本篆刻の祖」独立性易と東皐心越の2人の共演 に併せて、明代・清代の篆刻印の展示      

   

2021年8月27日(金)~12月21日(火)
「酒器Ⅲ」李朝粉青沙器・鶏龍山・高麗・唐津盃・萩焼盃・高取焼 ~酒が文化をつなぐ~ 小林東五作・波多野善三と英生・三輪栄造・9代三輪休雪・10代三輪休雪・11代坂高麗左衛門・細川護熙・丸田宗彦

2021年6月5日(土)~8月17日(火)                     「酒器Ⅱ」李朝白磁 伊万里焼 鍋島焼 九谷焼 柿右衛門 今泉今右衛門

酒器Ⅱ

秀吉の文禄・慶長の役の時、出兵した大名たちが連れて帰った朝鮮李朝時代のやきもの師たちによって、九州と山口には新たなやきものが生まれました。

酒器Ⅱは、佐賀の領主・鍋島直茂が連れ帰った李参平が、有田の泉山にカオリンをたくさん含む陶石を発見したことから、有田に磁器のやきものが始まり、それが日本の磁器の始まりとなったことをご紹介します。朝鮮の陶工に技法を学び、日本人の好みに合う絵付けが施され、有田焼、伊万里焼、鍋島焼は、加賀の九谷焼へと広がりました。

2021年3月19日(金)~5月30日(日)
「酒器Ⅰ」瀬戸焼・美濃焼 そして 中国陶磁器

酒器Ⅰ

瀬戸焼は鎌倉時代初期に始まる猿投窯の技法で、施釉と高火度焼成のやきものと言われる。中国陶磁の技法を取り入れつくられていた。雑木の灰を原料にして、長石・陶石・粘土を調合した灰釉、灰釉に天然の酸化鉄を加えた鉄釉などをつかい、六古窯の中で唯一の釉薬を施したやきものである。

美濃焼は、美濃地方に始まり、織部焼・黄瀬戸焼・志野焼・瀬戸黒など茶の湯の世界にも多く取り入れられた。

2021年1月5日(火)~3月9日(火)
「海揚りの備前焼」
~酒が文化をつなぐ~

「祈り・祭り そこにはいつも酒がある」

神の米・イセヒカリ

平成元年、伊勢神宮を2度の台風が襲った。神田のコシヒカリは跡形もなくなぎ倒された。
その中にすくっと天に向かって立つ2株の稲株があった。
その2株の稲は5年に亘り固定化の実験栽培が行われ、新種として平成8年に「イセヒカリ」と命名された。

平成の御代の弥栄を招来するものとして新嘗祭に祭られ、神田に生まれた新たな米としてイセヒカリは登場したのであった。
イセヒカリの特徴は、茎が女性的でしなやか、全体に小ぶり。葉はいつまでも青々として、稲穂は見事な黄金色。アミロース含量の高い硬質米という特徴を持つ。

「ご飯に炊いてはコシヒカリに勝り、酒に醸すと美酒となる」とは、山口県農業試験場でイセヒカリを育てた元場長の弁である。
そしていよいよ平成10年から、岩国の酒井酒造株式会社で本格的な酒造りが始まった。
神の米イセヒカリは、今も熟練の杜氏によって美味しいお酒を醸し、四季折々の祭事にお目にかかるのである。
日本には、古くから正月以外に節句を祝う習慣がある。節句と酒の関りにも文化が生まれている。

9月5日(土)~12月20日(日)
「明代の篆刻・独立性易禅師」
~東京国立博物館の所蔵印に観る~

独立性易禅師(どくりゅうしょうえきぜんじ) (1596~1673)

中国浙江省杭州府仁和縣(ちゅうごくせっこうしょうこうしゅうふじんわけん)に生まれ、名は戴笠(たいりゅう)という。
字を曼公(まんこう)、子辰(ししん)、号は荷鉏人(かさいじん)という。
幼い頃から学問を志し、儒学(じゅがく)や医学を学び明朝(みんちょう)に仕えた。
25歳で大火にあい兄弟を失い、翌年には漢民族(かんみんぞく)の明朝は満州民族(まんしゅうみんぞく)の清(しん)に攻められ戦火に乱れる情勢となっていく。

戴笠は官職(かんしょく)を退き西湖(せいこ)に移り住み、そこで出会った詩書画篆刻(ししょがてんこく)の世界に触れることとなっていく。
それまで詩を詠むことのなかった戴笠であったが、風光明媚な西湖に触れ次第に詩書画篆刻の力をつけていく。
このことが後に日本に大きな影響を与える事となるのである。

いよいよ明朝(1368~1644)が滅亡し清朝(1644~1912)となる。
漢民族の戴笠は1653年58歳で長崎へ渡来(とらい)した。
長崎唐通事で医業をする頴川入徳(えがわにゅうとく)(陳明徳(ちんめいとく))の世話になり、日本での生活が始まる。
その翌年渡来した黄檗宗萬福寺(おうばくしゅうまんぷくじ)の開祖(かいそ)となる隠元隆琦禅師(いんげんりゅうきぜんじ)に感銘を受け弟子となり、戴笠は独立性易と名付けられた。
号を天外一閒人(てんがいいっかんじん)、天閒老人(てんかんろうじん)、就菴(しゅうあん)として77歳までの人生を日本で生きた。
1664年68歳の時、3代領主吉川広嘉(きっかわひろよし)に医師として岩国に招聘(しょうへい)され、初めて会った時にふるさと杭州(こうしゅう)の西湖(せいこ)の事が話題となり、「西湖遊覧志(せいこゆうらんし)」を見せた。
そこに描かれた西湖の絵がヒントとなり、錦川に錦帯橋(きんたいきょう)がかけられたのである。
広嘉から岩国に計4回招聘(しょうへい)された独立禅師は、医師としてだけでなく明朝の文化を伝え、詩を詠み、書画篆刻を書き、文化的にも歴史的にも大きな足跡をこの地に残している。

「独立禅師自用石印(どくりゅうぜんじじようせきいん)(東京国立博物館所蔵)」の資料の展示

「獨立禅師石印(どくりゅうぜんじせきいん)」と「2顆(か)の印(いん)」を2019年4月に特別閲覧(とくべつえつらん)する機会を得た。
その印面の刀の跡と印影(いんえい)を観て、明代篆刻の巨匠文三橋(ぶんさんきょう)(文彭(ぶんぼう))を師とする独立禅師の技術の高さを知ることができた。

長崎に渡来したとき既に58歳、人生50年の江戸時代には既に高齢者であり、細かい作業の伴う篆刻印を彫ることは難しかったのではないかと思われる。日本では、弟子高玄岱(こうげんたい)らに篆刻を教え、「日本篆刻の祖」として名を残した独立禅師であるが、残念ながらプロフィールに篆刻家という表記はない。

今回、東京国立博物館の許可を得て、錦帯橋ゆかりの独立禅師の記録がたくさん残る岩国で、おそらく初めての「独立禅師自用石印の調査記録」の発表展示を行うこととなったので、改めて独立禅師の「篆刻印」に注目していただければと思う。

今回の展示につきましては、東京国立博物館のご協力に心から感謝いたします。

 何雪漁(かせつぎょ)(何震(かしん)) (1541推定~1607)

明代中期の篆刻家。
名は震(しん)、号は雪漁、雪漁山人(せつぎょさんじん)、長卿(ちょうきょう)。安徽省婺源縣(あんきしょうぶげんけん)の生まれ。

文三橋(ぶんさんきょう)(文彭(ぶんぼう))に刻印の法文字を学び、鋭い刀法で刻し安徽の地に篆学の基を築き、徽派(きは)の祖となった。

3月20日(金)~8月25日(火)
「よみがえる絵師・狩野永琳の世界」

= 祈りの日常 =

朝起きて顔を洗い身支度をすませると、仏壇の前に座ります。

そして般若心経を唱えるのが一日の始まりです。

家から5分ほどの道のりに、叡福寺(えいふくじ)という

聖徳太子の御廟所があります。

文殊坂という小路をのぼりますと寺の西門につながり、

正面には西門から見える多宝塔(重要文化財)の中には

四本の柱に四天王の像が描かれています。

その左側には金堂があり、前を少し通り抜けると

太子堂とも呼ばれる重要文化財の聖霊殿に、

十六歳の聖徳太子の像がが祀られています。

すぐそばの石段をのぼると聖徳太子御廟です。

その前に立ちゆっくりと手を合わす表情には、穏やかさと安らぎをのぞかせます。

手にはインドから持ち帰った菩提樹の数珠がしっかりと握られています。

良きとき悪しきときを前へ歩いて行けたのは、絵を通してめぐり逢った方々のお蔭。

人との繋がりから教えられ、学ばせて頂いた人生。

笑顔を頂いた方々への感謝を、絵筆を通して和紙や絹へと

思いを託して描いたように思います。

そして、

この絵は、何年もの歳月をかけながら精魂込めて描き上げた

「慈母観音」の絵です。

狩野芳崖の「悲母観音」の写真が

新聞に小さく載っていたものを見た方から依頼を受けて、

約40年前に仕上げたこの「慈母観音」は

永琳の祈りと共に完成しました  合掌

「松林桂月 日本の四季」
~文人たちが愛でる文房四宝と漢代の金印~

2020年1月5日(日)~3月10日(火)

「李朝の器 東五と崔在皓(チェ・ジェホ)」 ~究極の李朝は月壺だ~

9月13日(金)~12月22日(日)

「独立禅師が伝えた篆刻印とハンコ 」展
併設展示 ~ 酒がうまい酒器 ~

6月7日(金)~8月27日(火)

第10回展チラシ銅印と糸印の展示で、秦の始皇帝が中国大陸を統一した仕組みの一端を紐解きます。そして、奈良・平安時代に伝わった銅印が大和古印となり「天皇御璽」が造られてきたことも印の歴史です。
江戸時代初めに明国から渡来した錦帯橋ゆかりの独立禅師が伝えた篆刻印は、日本の印の世界に大きな影響を与えました。篆書体で印を彫るから篆刻。ハンコと篆刻印の歴史を銅印を観ながらご説明します。

「発見!川下村からパリに翔んだ画家桑重儀一展」

3月23日(土)~5月27日(月)

桑重儀一展

「 茶碗 喫茶去」~李朝の茶碗に魅せられて~

2019年1月6日(日)~3月11日(月)

 錦帯橋ゆかりの独立性易禅師 書と篆刻展

2018年10月5日(金)~12月17日(月)

岩国藩の御用窯 多田焼

2018年7月6日~2018年9月24日

酒器をたのしむ 関雪の桃源郷

2018年3月23日~2018年6月25日

茶器と漆器 いろいろ展

2018年1月5日~2018年3月12日

文房四宝と篆刻展

2017年9月2日~2017年12月24日

篆刻体験

会場:岩国市観光交流所 「本家 松がね」
時間:AM 10:00~PM 4:00

ナイトミュージアム

2017年11月11日~2017年11月12日

〇ナイトミュージアムとは

 錦帯橋千年プロジェクト「錦帯橋芸術祭」の冠で行う
錦帯橋篝火=今はじまる千年の物語=の協賛の企画です。
竹灯りをともして横山4館の美術館博物館が初めて行うナイトミュージアム

五橋文庫は横山の入口
五橋文庫・吉川史料館・徴古館・岩国美術館と順番に巡って
秋の夜の竹灯をお楽しみください。

文人の酒器

一杯一杯また一杯
2017年5月28日~2017年8月27日

五橋文庫開館記念特別展 蚯蚓の呟