雲道人翁(うんどうにん/1893~1972)
雲道人 小林全鼎は東京都大東区浅草に於いて出生。
十六才で禅門に入り浅草海禅寺にて得度し、その後、
京都嵐山天龍寺に掛頭。修禅の途に当時の叢林の荒
亡に落胆し二十才の頃還俗したと聞く。
その当時、独学で油彩画を始め、帝展第五回に入選。
また同じくして水墨画を描き、友人岸田劉生に宋元
画を目覚めさせたのは雲道人だったという。長ずる
に及んで詩、書、画、篆刻の諸芸に遊び、文墨界を
はじめ各界の有識者と交友を広めた。
大東亜戦争終末期、東京の天沼居(てんしょうきょ)
を払い、山口県に疎開。山口市湯田温泉に寓し、その
後各所を転止し、ついの住居となったのが現在の山
口市大内町小鯖の雲庵(うんあん)である。常々、「人
は元気な内に死ぬのがよい」と語っていた雲翁であっ
たが、果然と、隣村にでも行く如く飄乎として自栽。
享年七十八才であった。
辞世に曰く
八十余年 春山秋水 即今獨乗 清風萬里
生前なお一個の禅者としての境涯を貫き自由奔放
に生きたため、時世の群動とは反りが合わなかった
ようだと、雲翁をよく知る友はその境涯と才能を惜
しんだ。激しい一面だけではなく、長く童心を捨て
きれず、芸に遊び、詩酒を限りなく愛した稀代の禅
者であった。