独立禅師の篆刻印
「天外一間人」という印です。この印影は、独立禅師の印の摹刻をしたものです。
江戸初期1664年4月に岩国に、医師として招かれた独立性易禅師は、3代岩国領主吉川広嘉に「西湖遊覧志」という、杭州西湖のことが描いてある本を見せました。そこは独立禅師が住んでいた所でした。
西湖の孤山には西泠印社という篆刻家の集うところがあります。1904年清代末にできた学術団体ですので、明代末の独立禅師の頃にはまだありません。しかし、独立禅師は西湖の近くに住み、詩書画を学ぶ人たちとの交わりがあったとありますので、明代から西湖にはそのような環境があったのかもしれません。
西湖には唐代の白楽天の名に由来するいう白堤、北宋の蘇東坡の作ったという蘇堤があり、白堤には1586年にできたという錦帯橋という大きな石の橋があります。岩国の錦帯橋は、独立禅師の持ってきた「西湖遊覧志」を見た吉川広嘉によって1673年に創建されました。独立禅師は1672年に長崎で亡くなっていますので、出来上がった錦帯橋を見ていません。岩国の錦帯橋の名前が白堤の錦帯橋に由来するのかどうかはわかりませんが、独立禅師のお蔭でなぜか多くの関わりが感じられるのです。 館長