独立禅師と見た錦川の錦帯橋

錦川からのお城山

桜の錦帯橋

さくら舟で錦川を遊覧しながら思ったことは

今から356年前の江戸時代初めに、長崎から初めて岩国入りした独立禅師のことでした。

3代吉川広嘉から医師として招聘されて広嘉公に会ったとき、自分の住んでいた故郷、中国杭州の地にある西湖の風景が錦川の河岸の風景と似ている、と話したと古文書にあるといいます。西湖も周囲を山々に囲まれ、豊かな水を貯える美しい湖です。

1800年代に和田石英の描いた「錦帯橋図」(ただ今五橋文庫展示中)を見ると、江戸時代の錦川の両岸にまだ道路は造られていません。大きく蛇行する河の流れには、錦帯橋が架かっていても渡し舟が往来しています。

独立禅師が岩国に来たときはまだ錦帯橋はなかったのですが、錦帯橋の少し上流にある田原というところまで舟遊びをしたと古文書にあります。今は浅瀬が多く河を舟で上り下りするのは難しいようですが、当時は水量も今より多く、舟の往来は交通手段の要でした。

独立禅師が言うように、舟から周囲の山々、お城山や岩国山を見上げると、確かに西湖周辺の様子を重ねることができると、以前西湖を訪ねた時のことを思い出します。

広嘉公と独立禅師が「西湖遊覧志」にある錦帯橋架橋のヒントになった「蘇堤」の絵をみながら、宋代の蘇軾や唐代の白楽天の話に花を咲かせたのではないかと想像することは、決して無理なことではないと確信する「さくら舟」のひと時でした。

今回、独り占めしたさくら舟での遊覧は、独立禅師を偲ぶ思いで錦帯橋と周囲の山々を見ることが出来ました。

7月3日から始まる「明代の篆刻・独立性易禅師」の企画展示の準備をしている毎日ですが、明代の書家としての独立禅師のこと、そして、明代の篆刻家・文彭に学んだという独立が明国から持ってきていた自用印を、東京国立博物館で特別閲覧の機会を頂いて観せていただき分かった事を、その資料を通して発表したいと思っています。

五橋文庫の篆刻体験は、今や岩国市のワークショップとして親しまれるようになってきました。独立禅師と錦帯橋、そして篆刻体験をキーワードにしたいと思います

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