京狩野派13世狩野永琳の岩国

この花生「栗之図」は、初代田村雲渓の多田焼に、京狩野派13世狩野永琳が絵付けしたものです。青呉須で書かれた栗と永琳の名前があります。

多田焼は岩国藩の御用窯として1700年(元禄13年)に始まった、岩国のやきものの歴史の最初のものです。献上品を作るために京都から焼物師を招き、侍である足軽が陶芸の技術を学び、献上品を作っていました。1800年代半ばには絶えてしまったその多田焼を、昭和になって復興させようと奮起した初代田村雲渓氏が作った花生です。

この京狩野派13世狩野永琳については、その詳細は不明ですが、昭和54年ころの岩国では、この13世永琳の絵を愛好する「永琳会」が青年会議所を中心にありました。そのご縁で雲渓氏は自身の器に絵付けをしてもらい多田焼を作っていました。その一つがこの花生です。当時まだ若かった2代目は、京都の太子町に素焼きしたものを持参し、側で呉須を擦りながら絵付けをお願いしていたそうです。京狩野派の絵を京都で守っていた13世永琳の絵を愉しんだ時代があったことは、記録としてはっきりしたものがないのが残念ですが、確かにこのような形で岩国の人を魅了していたようです。

先日広島からお越しになった方が、「実家で見たものに似ている・・調べてみる」と言われていました。

9月24日まで「岩国藩の御用窯~多田焼」の中に、永琳のお軸「山猟」と画帳を展示していますので、ご興味のある方は是非ご覧になってください。もしかしたらあなたのお宅にも13世永琳の画があるかもしれません。

この13世永琳の絵を埋もれさせたくないという2代雲渓氏の強い思いを受け、今回の展示に加えることとしました。館長

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です