「伽耶土器」が岩国で発掘されていた!

伽耶土器(陶質土器)

五橋文庫では「海揚りの備前焼」の展示をしています。

備前焼のルーツが須恵器であることを説明するために、縄文土器に始まる日本のやきものを、縄文、弥生土器と一緒に古墳時代の須恵器を並べました。そして、この写真の伽耶土器が朝鮮半島、伽耶から伝わる須恵器としてを一緒に置いていたところ、同じものが岩国市の用田古墳群から発掘されていたことを知りました。

当館に所蔵のこの土器は、骨董屋経由で手に入れたものですが、まさか岩国市周東町用田でも発掘品として見つかっていたとは、驚きました。

紀元後、伽耶の国は朝鮮の三国時代と言われる高句麗、百済、新羅が栄えた時代、百済と新羅に挟まれるかのような位置で,日本海を間に日本と対面する位置にありました。そのため文化の交流もあり、日本書紀には任那と記載されています。伽耶国を通して稲作や鉄器が日本に入ってきたとも考えられるようです。

2000年以上前の土器が岩国の地で発掘されていたことの不思議さに、資料を見ながら時の流れに並行して人々の営みを感じます。

縄文土器(縄文後期)

紀元前1万5千年に始まるという縄文時代、世界で初めて作られたやきものが縄文土器だと知ったとき、日本の凄さを感じたのを思い出します。縄文時代には火焔土器のように神に捧げるために作った形が多く、日常に使うというより厳かで装飾豊かなデザインでした。

弥生土器(弥生前期・柴山出土)

大陸から稲作が入ってくる弥生時代には、やきものの形が変わり、人々が使いやすいシンプルな形に落ち着いていきました。その後、朝鮮半島から須恵器という高温で焼きしまった硬い丈夫なやきものを作る古墳時代になりました。

須恵器や土師器が作られた後に、その影響を受けた、瀬戸焼・越前焼・常滑焼・信楽焼・丹波焼・備前焼という六古窯が造られ、それぞれ特徴のあるやきものを造っていきました。そして、その中でも唯一無釉のやきものを造り続けたのが備前焼です。

古備前大徳利

今回の展示では、窯の中で様々な表情を持って生まれた備前焼の面白さを観ていただいていますが、朝鮮からのルーツになる伽耶土器(把手付の陶質土器)に注目していただくことにもなりました。

この伽耶土器に関する資料は、岩国市文化財保護課のご協力によるものです。感謝していただきました。

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