再興を目指して「多田焼」
「岩国多田」と扇面に入ったこの印は、江戸時代終わり1860年以降に多田焼を再興しようとした大西利左衛門、市木精斉たちが作ったものに印されています。「もう一つの多田焼」と呼ばれています。
元禄から宝暦までの最盛期の多田焼を,
再び写すように作ることは難しく、思うようにはいかなかったのです。
しかし、努力の跡がこうして残り、この釣り花入れは何とも愛らしい。
打ち出の小づちのようでもありますが、何を描いたのでしょう。
再興、復興、どちらも大変なことです。
平成最後の年に、元禄13年(1700年)に始まる京焼をルーツにする多田焼は、田村雲渓氏により岩国によみがえったのです。 館長