緑陰のもとで「酒器Ⅱ」
緑陰の五橋文庫
「緑陰」という言葉、この夏の季語がぴったりの季節です。
酒井酒造美術館・五橋文庫の入り口には、大きなしだれ桜の木があります。その若葉が茂り大きな木陰を作っています。その下には、室町時代の備前の大きな壺があり、中にいるめだかは2年目の夏を過ごしています。今朝も日差しは、すっかり夏の勢いで、木蔭の下に隠れたくなります。
このところ満開になった菖蒲の花を見る人たちでにぎわう日々ですが、この時間はまだ静かな横山です。小鳥の声を聴きながら、木漏れびを楽しんいます。
6月8日田植え後12日目
5月28日に植えたイセヒカリの苗も、青々と大きく、たくましくなってきました。
平成元年に伊勢神宮の神田に生まれた新種のイセヒカリは、コシヒカリの田んぼで生まれたので、お母さんはコシヒカリ。ではお父さんは?おそらく昭和5年に伊勢神宮で生まれた新種の「瑞垣」ではないかといわれています。神様の田で新しい稲が誕生する、しかも天皇陛下の代が変わる時に合わせたかのように・・。神様が新しい命をひとつ天からくださったのでしょうか。ロマンがあります。
水を張った鉢の田と、陸稲のように鉢の外に植えたイセヒカリの苗は、どちらも元気に青々と育っています。
「岸駒」と「李朝と伊万里」
さて今回の展示「酒器Ⅱ」は、日本の磁器の歴史を辿ります。朝鮮王朝李朝の陶工によって、有田の泉山に磁器の粘土が発見されました。磁器を作る技術も習い、日本のやきものとして有田焼、伊万里焼、鍋島焼、九谷焼へとつながっていきました。
江戸時代に岩国の池が迫に、有田の陶工が「皿山焼」の窯を築きました。岩国藩の多田焼の窯が壊れた時に、皿山焼の窯で焼いたという記録も残っています。明治には岩国高校のある川西に、「錦屏山焼」という磁器の窯もできました。岩国にも磁器のやきものの歴史があることも含めての展示です。
酒器Ⅱ
8月17日(火)までの開催です。