岩国錦帯橋・吉香公園は上野公園のよう・・

錦帯橋

江戸時代初めに架けられた錦帯橋は、お城のある横山と錦川を挟んだ対岸の岩国地区を結ぶために、吉川家の3代広嘉と家臣たちが英知と高い技術をもって造った橋です。構造的にも多くの建築家から注目される橋ですが、この橋に係る背景には当時の中国・明の文化が秘められています。

3代広嘉は持病の治療のために、長崎に渡来していた医師・独立(どくりゅう)禅師を4回招いています。独立禅師は日本における黄檗宗の開祖・隠元禅師の弟子となり、将軍・徳川家綱に謁見する機会も持ちました。儒教を学び、西湖の近くで詩を詠み、書を得意とし、明代の篆刻の第一人者・文三橋(文彭)に学んでいた独立禅師は、長崎で高玄岱を弟子として育てており、「日本篆刻の祖」と言われるのも理解できることです。

そのような文人の素養を身につけた独立禅師が岩国に4回も滞在したことで、岩国には中国明代の文化が大きな影響を与えていると思われます。江戸初期はまだ大陸からの文化が日本の文化のお手本の時代でしたから、もしかしたら最先端の文化を得た岩国だったかもしれません。

周囲を山に囲まれたこの場所は、西湖の様子に似ていると独立禅師は言っています。独立禅師が初めて3代吉川広嘉に会った時、見せてくれたのが「西湖遊覧志」です。その中にある西湖の絵に、錦帯橋のヒントがあることに気づいた広嘉は、すぐに家臣たちと架橋の相談を始めています。

広嘉は、現在吉香神社がある場所を中心とした横山から、対岸の岩国側へ城下町をつくって行きました。その横山には藩校養老館の流れを汲む旧制岩国中学、後の岩国高等学校がありましたが、今ではこの一帯が吉香公園として四季折々の風景を楽しめる市民の憩いの場となっています。

その公園の中には、4つの美術館・博物館があります。

岩国藩主吉川家の歴史と美術品を展示する吉川史料館。

吉川家が造り、戦後すぐに開館した岩国徴古館。ここは岩国市の歴史に関係する古文書や美術品、資料などが保管され、岩国市に寄贈された博物館です。

そして、実業家が文化や美術に貢献する美術館が世界中に沢山ありますが、岩国横山にも2館あります。

一つは、柏原美術館で、刀剣に造詣の深い館長のコレクションは目を引きます。

もう一つは当館、酒井酒造美術館・五橋文庫です。明治4年から酒造りをしてきた老舗の酒井酒造㈱の5代目は、酒器をコレクションし始めてから、やきものや骨董の世界に知識を深め、良き友人を得てきました。陶芸家小林東五氏との出会いもその一つですが、東五氏から寄贈を受けた所蔵品には、やきものと篆刻に関する貴重なものが多く、創業者も館長も長年篆刻を趣味としてきたことから、独立禅師の篆刻体験を館のワークショップにしています。

各館はそれぞれの特徴を生かしながら展示をしており、吉香公園を散策しながらお好みの展示を楽しめる場所の様子は、東京にある上野公園の様子にも似ているのではないかと思います。上野公園には東京国立博物館、国立西洋美術館、上野の森美術館、東京都美術館、東京芸術大学美術館、国立科学博物館、東京文化会館、国際子ども図書館、恩賜上野動物園、上野恩賜公園、黒田記念館、旧東京音楽学校奏楽堂と、数えてみれば12の施設があります。歴史と文化のある地、上野公園にはいつの間にか文化が集合する地になっていたのではないでしょうか。

ここ岩国の横山は、岩国城のあるお城山の下にあり、武家屋敷の残る緑豊かで静かな所です。錦帯橋はそのお城山を借景にしているからこそ、より美しい姿を見せてくれると思います。

錦帯橋に魅せられた人々は、いろいろな角度からこの横山を楽しんでいるように思います。

上野公園と岩国市横山の吉香公園に、どこか共通するものがあると感じる酒井酒造美術館・五橋文庫です。

錦帯橋から横山を見る

桜の錦帯橋

つつじの横山

菖蒲の横山

夏・緑陰の城山

秋の紅葉カイノキ

晩秋の銀杏

酒井酒造美術館・五橋文庫

6月には菖蒲の咲く横山になります。コロナ禍で自粛を余儀なくされる毎日ですが、初めてウイルスと戦うことに直面した昨年の春を思いだしています。必ず穏やかな日常が戻ると信じて、人のつながりと大切な命を守りたいと願います。

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