独立禅師と錦帯橋の話
独立禅師の書「靜」
岩国の名勝錦帯橋を渡り、川土手の道を上流に向かって歩くこと300m、横山地区の下りる坂をくだると五橋文庫があります。白壁の塀に囲まれた蔵造の建物は、あまりに景色に溶け込んでいて気づかない人も多いようです。開館日には看板を置いていますので、どうぞ中へお入りくださいませ。
蔵造りの美術館は、入ってすぐに書斎のような設えになっており、李朝の家具や旧岩国高校横山校舎のなつかしい椅子があります。そこにゆっくりと腰を下ろし、展示ケースにおかれた美術品を観ていただきます。2階にはテーマに合わせた展示物が並び、皆様の鑑賞の空間になっています。
小さな美術館ですが、文人と言われる人たちが愉しんだ書斎、その書斎に置かれ愛されてきた文房四宝や陶磁器と書画は、今では非日常のものかもしれません。
しかし、なぜでしょうか、私たち日本人はホッとした空間に身を置くと心が落ち着くのです。
錦帯橋を架けた吉川広嘉公に医者として招聘された独立禅師は、中国明で暮らしていたふるさとの事が書かれている「西湖遊覧志」を見せました。その中に描かれている西湖の白堤と蘇堤の絵が錦帯橋創建のヒントになりました。唐代の役人として白楽天は白堤を、宋代の役人蘇軾は蘇堤を築きました。どちらも詩人として有名ですが、築かれた堤は詩人だからこその風情ある景色に造られています。聡明な広嘉公と独立禅師が、この2人の詩人の話をしないはずがありません。きっと白楽天や蘇軾のことを語り合ったと思います。独立禅師は錦川の河畔がふるさと西湖の風景を思わせると話しています。
流れない強固な橋を架けることが第一の願いであった広嘉公が、独立禅師に西湖の堤の事を聞きながら、その景色や文化を知り、ただ単に流れない橋としてだけではなく、城山を借景にした絵を描くように、美しい橋として架けようとしたのではないかと思うのです。
五橋文庫所蔵の和田石英の描いた「錦帯橋図」にある賛にも、錦帯橋が城山を借景として美しい橋であるとあります。江戸時代に渡来した隠元禅師をはじめとする黄檗宗のの僧侶たちは、中国の文化伝え、日本に大きな影響を与えていたのだと思います。
その独立禅師は、日本篆刻の祖と言われています。長崎に住み高玄岱という弟子に篆刻と書を教えています。高玄岱は江戸において能書家・儒学者として活躍し、浅草寺には大きな扁額「施無畏」が本堂にかかっており、その様子を窺い知ることができます。
今、岩国ではこの独立禅師にゆかりが深いことから、篆刻体験のワークショップを五橋文庫で行っています。吉川氏が築いた城下町岩国の歴史と文化に触れるひとときを、五橋文庫で独立禅師の話をしながら篆刻印をつくるのはいかがでしょうか。
明日から展示替えのため、休館いたします。次の開館は9月13日(金)からです。
小林東五氏と崔在皓(チェ・ジェホ)氏の器と李朝時代の器を展示いたします。9月14日(土)と11月8日(金)には崔氏のギャラリートークも予定していますので、ぜひまた楽しみにお出かけくださいませ。