帰ってきた五橋文庫

今朝は青い空に白い雲が空一面に見えます。一昨日の五橋文庫は水上の美術館で、近づくこともできませんでした。昨日には水もすっかり引いて、あちこちでは片づける人たちでにぎわいました。

きれいな青空が戻ってきたら、一変して真夏の暑さですが、城山の緑も雨にあらわれ、木の葉は一段と輝いて見えます。

五橋文庫の側を泳いでいたあの鯉は、無事に我が家に帰り着いたでしょうか、気にかかります。思わぬ増水で池から飛び出して泳ぎ回ったことは、ひと時の冒険旅行だったでしょう。その気持ち、ちょっとわかりますね。

さて、五橋文庫の今回の展示は、「岩国藩の御用窯」の歴史を紐解いています。岩国の吉川氏は江戸元禄の時代に、京都の焼物師に教えを乞うて岩国の多田村に窯を築きました。多田村で焼いたから多田焼と言い、その歴史には興味深いものがありました。まだまだ読み込みが浅い状態ですが、初心者の「多田焼ものがたり」をおたのしみください。

 

多田焼は元禄13年(1700)5代吉川広逵公の時に、多田村に窯を築くことから始まりました。

多田村はお城からも近く、良質の粘土と燃料になる松があることから窯場としたようです。ここでは岩国特有の両袖瓦も作られていたらしく職人がいました。両袖瓦は、吉川史料館の御駕籠部屋の屋根に当時のものが残されているので、ぜひご覧ください。

多田焼とよばれるやきものは、京都から丹波屋安兵衛を招き、まず窯を築くことを習いました。習った人は、実は吉川氏の足軽たちです。足軽の仕事と兼任する形で陶芸をしていました。

昨今の陶芸ブームで体験される方も多くなりました。経験者はお分かりですが、粘土で形を作ることはなかなかです。ましてや茶道具を目指すのはかなりの訓練が必要です。形になるまでは苦労があったと思います。京焼になるように岩国の土をブレンドして、まずは形を作りました。岩国の土を混ぜた釉薬を作ってうわぐすりをかけて焼き上げます。何度も稽古焼と称した試し焼きをしていたようです。

この花生は稽古焼です。結構迫力のある力強い趣があります。当時の力作をぜひご覧ください。

続きはまた   館長

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