雲谷派の「錦帯橋図」
室町時代の雪舟は山口の大内氏のもとで、日本の山水画を確立しました。
江戸時代初期に毛利輝元に召抱えられ御用絵師となった雲谷等顔は、雪舟の「山水長巻」の模写をし、雪舟ゆかりの雲谷庵と「山水長巻」を預かり、途絶えていた雪舟画の再興を命じられました。雲谷等顔のもとに集まる一派を雲谷派と言いいます。
その雲谷派には、岩国吉川藩士の和田石英も名を連ねています。
写真の錦帯橋図は、1800年代和田石英の作で、当時の様子を見ることができます。ただいま展示中です。
明治の初めに創業した酒井酒造では、「五橋」というお酒のラベルにこの絵を使っています。
錦川の水は良質なお水です。岩国のお酒がおいしいのには、この錦川のお水に恵まれたことがあげられます。その水を生み出すのは上流にある錦町の山林です。山を大事に守ることが良質の水を生み、きれいな川となって里を潤します。渇することのない錦川は、岩国の町を豊かにしました。その錦町の山林を豊かな森として守っているのは、江戸時代から岩国を築いてきた吉川氏だと言います。城下町岩国には守られてきたものが沢山残っています。 館長