マドンナは横山小町

今年102歳の「横山小町」のお話です。

岩国市千石原には、着物姿に緑の袴をつけた愛らしい娘がいました。錦帯橋の桜並木を通るその姿を見つけた若者たちがひそかに憧れるマドンナは「横山小町」と呼ばれていたそうです。家は代々岩国藩の家臣です。義済堂に努める夫と共に千石原に暮らしていた横山小町は、若い時に新町の郵便局で電話交換手のお仕事をしていました。当時としてはとてもとてもハイカラな女性でした。

昭和25年にキジア台風が岩国を襲いました。その時、江戸時代初め1673年に創建された錦帯橋が、初めて流されるという、架橋から277年後の悲惨なことが起きたのです。錦川河畔の千石原にあった横山小町の家も流され、少し下流にある、今の開花亭の近くに引っ越しました。しかし落ち着く間もなく、その翌年26年朝鮮戦争の真っただ中に、なんてことでしょうか!横山に飛行機が落ちてきて、その新居は跡形もなくなったのだそうです。代々伝わってきた何もかもが焼けてしまいました。横山小町の大事な着物もすべて・・。ただ幸いなことに家族の命は無事でした。

現在岩国錦帯橋空港があるところには、戦時中は海軍が飛行場を持っていました。戦後にはアメリカの進駐軍が入ってきて、駐留軍となりました。それが今の米軍岩国基地です。当時は横山にある吉川氏の残した建物に、進駐軍が住んでいたこともあると聞きます。横山に飛行機が落ちて、横山小町の家を含めて3軒の家が焼けてなくなったので、またまたお引越しです。今度は錦帯橋のすぐ近くのお住まいです。

大きな水害を経験し、飛行機が降ってくるという体験をした横山小町は、水害に備えて、中二階に大事な家財を置き、3階に避難できる家に住んでいます。先日の水害にも少しもあわてなかったそうです。経験値が高いというか、学習能力が高いというか、頼もしい限りの知恵です。

102歳の横山小町は、今も変わらず笑顔の素敵な、そして愛らしいマドンナのようです。楽しそうに話してくださるお嫁さんの語りに引き込まれ、いつかお目にかかりたくなりました・・館長

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