神業で生まれた米・イセヒカリ
イセヒカリ
平成元年、伊勢神宮が二度の台風に見舞われた時、その神田に植えられていたコシヒカリはべったりと倒れてしまいました。しかしその中に、スクッと直立する2株の稲株があったと、伊勢神宮の神田管理者の森氏は語っています。そして、そのお米は「イセヒカリ」と呼ばれるようになりました。
イセヒカリは全体に小ぶりですが、茎はしなやかで葉は何時までも青々とし、稲は見事な黄金色になる品種です。食べて良し、呑んで良しのこの神の米は、瑞穂の国・日本にふさわしいお米なのです。
昭和天皇のご即位の後、昭和5年に発見された「霊稲」に続き、平成天皇即位の年に発見された「イセヒカリ」。御代替えにかさなった2度の発見に、関係者は神業だろうかと心が弾んだといいます。
平成11年には、山口県工業技術センターで試験済みのイセヒカリの酒造りが始まり、それまでも山口県の新しい開発に協力してきた酒井酒造㈱の蔵人たちは、このイセヒカリの酒造りにも当たり前のように取り組みました。当然、酒井酒造㈱の5代目当主は「岩国イセヒカリの会」の会長も引き受け、イセヒカリを学び、岩国市美和の田んぼでお田植をしました。今も県内産のイセヒカリで酒造りは続いているのです。
イセヒカリ
その美和のイセヒカリの種が、こんなに大きくなり穂をつけましたので、五橋文庫のお庭にやってきました。朝顔のツルも伸び、桃山の大壺の壺中天のめだかとともに、猛暑の夏に彩を添えています。
イセヒカリ初穂