「西湖遊覧志」にある西湖の絵図

「西湖遊覧志写本の西湖絵図(岩国徴古館所蔵)」と「「西湖舊蹤」にある明代絵師・周龍の描いた「西湖全景圖」

奥側には岩国徴古館所蔵の「西湖遊覧志写本」にある西湖の全形をコピーで並べました。和綴じ本になっている写本の絵図の全ページを並べています。

杭州にある西湖の様子がわかりやすい絵地図になっており、湖の右側には唐代に造られた「白堤」、そして中央から左にかけては約2.8キロにもなる堤、宋代に造られた「蘇堤」を見ることができます。周囲の山々の名前も書きこまれていますので、詩書画に出てくる地名に当時をうかがうこともできます。

この絵図には、岩国ではおなじみの「錦帯橋」「臥龍橋」の名前、広島縮景園にある「跨虹橋」の名前も見えますので、岩国市民には一気に親しみ深い絵として見いってしまいます。

岩国のお殿様、3代吉川広嘉公が独立性易禅師から見せてもらった「西湖遊覧志」を見て大いに喜んだ理由がこの絵にあったことは、岩国では多くの人たちが知っておりますが、この絵全体を見た事があったかというと、案外見る機会がなかったのではないでしょうか。是非ご覧に頂きたいと思っております。

今年錦帯橋が架かって350年を迎えます。江戸初期の1664年に「西湖遊覧志」の本を見せてもらい、直ぐに写本を作り始めてから、1673年に僅か3か月で橋を造り上げるには、約10年もの間、壮大な準備をしていたと思われます。並々ならぬ苦労があったことでしょうが、今も錦川に優美な姿を見せている錦帯橋を見ますと、当時の人たちの城下町づくりへの熱い思いが伝わってくるようです。

絵図の西湖と、手前に並べた絵師・周龍の描いた西湖を見比べることで、この本の持ち主・独立禅師が見ていた明代の西湖の様子が見えるかと思います。堤には木々が植えられ、周囲の山々とのバランスの良いこの風光明媚な景色は、宋代の皇帝徽宗が作った画院、絵を学ぶ学校での題材になる様につくられたとも本で読んだことがあります。

ただ今当館に展示しておりますが、横山、岩国山、そして上流に見える山並みに囲まれた錦川にかかる5連のアーチ橋である錦帯橋を、橋本関雪は織女(天孫)の羽衣と詩に詠んでいます。岩国市にある油政で酒井酒造3代目と共に宴をした際、持っていた扇子に即興で詠んだ詩を書いた橋本関雪は、草稿であると結んでいるのがよりリアル感を感じます。

錦帯橋と、西湖遊覧志写本の絵図や周龍の描いた西湖の絵を重ね合わせてご覧いただける今回の展示に、350年前の岩国に思いを馳せて見て頂けたらいかがでしょうか。

先人たちが写本からのヒントを基に流れない橋を架けることを願い、各地を見学して取り組んだ堅固な橋脚になる石を切り出し、橋板になる木々の工夫をして仕上げた錦帯橋に、今年一年間は正面から向かい合い、記念の年350年を祝いたいと思います。

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