「酒器Ⅲ」古唐津

子どもの頃から聞いていた言葉に「せともの」と「からつ」があります。どちらも食器棚にある器の事を指して言う大人たち。当時は両者の区別が分からなかったのですが、器であることは理解してきました。「せともの」は瀬戸焼、「からつ」は唐津焼のことで、器を総称するほどに世に出回っていたという事だと知ったのは、随分のちの事でした。

春の展示でその「せともの」のお話をしてきましたが、今回は「からつ」と親しまれてきた唐津焼です。

古唐津片口

室町時代末、岸岳(佐賀県松浦郡)は松浦党の領袖・波多氏が居城した地で、その山麓には窯がつくられていたといいます。すでに交易のあった朝鮮半島から陶工が来ていたという説もあるようです。そんな土地柄もあったところに新たに加わったのが、文禄・慶長の役で鍋島直茂が連れ帰った朝鮮の陶工たちでした。つぎつぎと唐津焼窯が造られていき、唐津焼の最盛期を迎えたのです。特に16世紀後半から17世紀半ばまでに造られたものを古唐津と呼んでいます。

唐津皮鯨盃

器の縁に鉄釉をかけて焼いたこの盃は、鯨の皮身のように見えることから名がついた皮鯨盃です。手取りの良い唐津の土味が感じられる一品です。

唐津 山盃

金継ぎが施されたこの盃は、高台が切りっぱなしになっており、山盃と呼ばれます。造りは細やかですので、高台もさぞかし華奢な削りあとかと思いきや・・。しかし、この高台がまた好ましく、盃に唐津らしさをもたらしているようにも思います。

唐津の土には、いつも温かみのある色合いを感じます。長く続いて欲しいやきものです。

古唐津の展示をしながら、現代作家の丸田宗彦氏の作品も4点ご紹介しています。

温故知新、やきものの歴史も現代にひきつがれ、若者による新しい挑戦も始まっているようです。

楽しみは続きます・・・

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