独立性易禅師と錦帯橋

春の錦帯橋は桜に彩られ華やかな姿を見せますが、初夏になると澄んだ錦川に映る姿がとても美しい

錦川に橋を架けることは、岩国に城下町を作ることに必要不可欠なことでした。

3代目吉川広嘉(きっかわひろよし)は、長崎から独立性易(どくりゅうしょうえき)を医師として岩国に招きました。その独立から見せてもらった「西湖遊覧志」(せいこゆうらんし)にヒントを得たのです。西湖にある小島に石のアーチ橋がかかっています。小島が橋脚の役割をしていることを見た広嘉は、早速家臣に命じて、橋を造るために各地の名橋に学ぶことを始めました。

錦川に4つの石組みの橋脚を造り、5連の木組みの橋を架けることは、それまでは思いもつかないことだったのです。江戸時代初めの1673年に、賢いお殿様と有能な家臣たちが架けた橋は、今も岩国に残ります。四季折々の彩りを見せる美しい橋、錦帯橋は岩国の誇りです。

独立性易は、中国明の終わりの人で、長崎に渡来してから黄檗宗の開祖隠元禅師の弟子となった人です。明に暮らすときには医術や儒学を学び、詩を詠み、書を能くし、篆刻にも詳しい人でした。そのため、多くの明の文化を江戸の人たちに伝え 「日本篆刻の祖」と言われています。その独立の残した書画や篆刻印が岩国に沢山あり、独立に始まる錦帯橋と篆刻の話をする五橋文庫です。

錦帯橋のかかる岩国、横山には吉川史料館と岩国徴古館があり、吉川氏が築き守ってきた岩国の文化をお訪ねください、お待ちしています。      館長

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